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報告書 紀要 所報 (第四五号 1999)
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人文科学研究所所報「人文」第四五号 1999年3月31日発行

所のうち・そと


カーラント・コレクションヘの旅

藤井 正人    

 日本に戻る直前の最後の五日を使って,ユトレヒト大学に所蔵されているW・カーラントの遺品を調べるためにオランダに入ったのは昨年の三月の初めであった。アメリカ合衆国,フィンランド,オランダとまわった今回の二カ月間の渡航は,まさにカーラント・コレクションへの旅であった。最後にそこに到るように全体の日程と行程を組んであった。半世紀以上も前に亡くなったヴェーダ学者の遺品が,なぜ旅の最終目的だったのか。

 ヴェーダ学はインド古典学の筆頭としての名声をながく謳歌してきたが,いまではかつての勢いを失い,学問のピークを過ぎてしまったかに見える。しかしインド文明の基層をなすヴェーダには古典研究にとどまらない研究方向があるはずであり,いくつかの新しい方向が確かに現われてきている。その一つに,ヴェーダの生成とインド各地への伝播を動態的に研究する方向があり,二人のヴェーダ学者がドイツ(のちにアメリカへ)とフィンランドで同じく七〇年代に,期せずして北インドと南インドとに地域を分けてこの方向の研究を開始している。二人の研究のいくつかの部分は,カーラントの残した資料の再評価と再利用をそもそもの出発点にしている。

 カーラント自身はオーソドックスな文献学者として終生,書斎を離れることはなかったが,ヴェーダのほとんど全領域にわたる大量のテキストを校訂し出版している。遺品の中の未出版のテキストの写本ノートをも加えると,彼が扱った写本テキストの膨大さがわかる。オランダにいながら,これほどの多種大量の写本をどのようにして手にすることができたのであろうか。カーラントがインドとの間にさまざまなパイプラインをもち,インド各地のバラモンや学者のネットワークを利用した写本に関する高度な情報網をもっていたことは知られている。彼の研究が,ヴェーダの学派と各学派に属するテキストに関して新鮮で価値の高い情報に満ちているのはこのためである。彼自身は必ずしも生成と伝播という動態的な視点をもって研究したのではなかったであろうが,死後,彼の仕事は,やり残されたものをも含めてヴェーダ研究の新たな方向への基礎となった。オランダに入る前に,アメリカとフィンランドに滞在したのは,カーラントの仕事を発展的に引き継いだ二人の研究の現在の動向を知るとともに,カーラント・コレクションに関する専門的な情報を収集するためであった。

 かくして,ユトレヒト大学の古文書館でブックトラックで運ばれてきたカーラントの遺品の中から見つけ出したものは,カーラントの残した過去とともにカーラントの残した未来であった。帰国後一カ月ほどして,依頼しておいた多くの複写物がユトレヒト大学から送られてきた。その中に,カーラントが写本を書き写し,音符などを赤インクで加えたサーマヴェーダ歌曲集のカラー・マイクロフィルムが含まれていた。彼が出版を断念したこの歌曲集を,さきのフィンランドの学者と人文科学研究所でこの二月から共同で研究することになっている。(一九九九年一月記)


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