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人文科学研究所所報「人文」第四五号 1999年3月31日発行

所のうち・そと


〈人文科学研究協会 研究奨励賞〉

中江丑吉遺品を守ってくれた中国女性のこと

阪谷 芳直    

 私は,一九九六年(平成8)九月に,永年預って来た中江丑吉の書簡や読書ノート類の入ったスーツケースを京大人文科学研究所に納めることが出来たが,昨九八年五月になって,この中江遺品の寄贈に至る経緯を七月末をメドに纏めて書いて欲しいと求められ,中江丑吉研究の一助にもなろうかと考えて承諾した。

 さて書き出してみると,このスーツケースが中江の死後十五年問,どのようにして日本の敗戦・中国の内戦・人民共和国の成立を挟んだ激動の時期を生きのびて,一九五七年(昭32)に日本に「帰還」し得たかが漠然としか掴めず,もどかしさに襲われた。だが調べて行くうちに,中江の側近者だった加藤惟孝氏が北京引揚に際しスーツケースを託した中国女性とは,清朝粛親王善耆の末娘の愛新覚羅・顕湊嬢と判った。彼女なら昔,旅順の小学校で一年上級だった私の幼馴染みだ,手紙を出せばいい……と考えていた時,偶然にも来日中の彼女が八月三日の中江忌の集りに出たいと言って来た。「その前に食事でもしながら喋ろう」という,私の申出に応じてやって来た彼女は,積る話を三,四時間も喋ったが,その中で一九五七年に訪中の機会を得た中江会の安田薫氏との接触を次のように語った。

 「私が,加藤さんから預ったトランクを家のダブル・ベッドの下の奥にしまい,誰にも喋べらずに来たのは,誰かに見つかって公安に没収されでもしたら,日本語の読めない連中がただの紙屑のように燃やしたり捨てたりして仕舞うだろうから,そうなったら大変だと思ったからよ。加藤さんとの約束も果せなくなるしね。日本人は未だ殆んど中国に姿を見せない頃だったし,私は,日本人なら誰でもいいからあれを持って行って欲しいと願ってた。あの人〔安田薫氏〕――名前は忘れたわ――と,北京の何処で会うことになったか,イキサツは覚えてないけど,話のなかで加藤さんの名前が出た時,『加藤惟孝さんならよく知ってる』というので,その言葉を信じてトランクを渡そうと決心し,二人で我が家に飛んで行き,あの人を入口に待たせ,寝台の奥からホコリだらけのトランクを引っ張り出して渡し,直ぐに持ってって貰ったという次第なの。」

 彼女が元王族の故に逮捕され十五年の獄中生活を強いられたのは,翌年(一九五八)二月であったから,中江書簡も読書ノートも危機一髪で救われたのだ。

 

編者注:
 阪谷氏は社団法人・尚友倶楽部常務理事。なお,中江遺品寄贈をめぐる阪谷氏の文章は『東洋學文獻センター叢刊・第八冊・中江丑吉文庫目録』に所収。

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