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報告書 紀要 所報 (第四八号 2001)
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人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

所のうち・そと


龍の尾は曲るか

――大明宮含元殿遺址保存事業のこと――

田中 淡

 含元殿は,唐の長安城大明宮の正衙で,文革直後の展覧会で展示された著名な建築史家F先生の彩色復元パースに描かれた高壮な基壇前面に真っ直ぐに延びる三本の龍尾道の偉容はまだ記憶に新しい。この復元案は,五九―六〇年に行われた発掘調査の結果にもとづいて文革後の七三年,雑誌論文として公表された。しかし,土をつき固めた基壇の残骸は風化損傷が甚だしく,そのまま放置すれば早晩貴重な遺跡を崩壊に至らしめることは明白だった。

 現在実施中の遺跡保存修復事業は,日本政府がユネスコに提供した信託基金の援助によって,一九九四年に日中共同事業協力委員会のもとで基本方針が決定,以来,日中の専門家会議で協議が重ねられてきた。その間すでに六年以上の歳月が過ぎ去り,当初双方十名ずつという約束で発足した同会議の専門委員は,日本側は私も含めて不変だが,中国側は何の断りもなく新委員が加わり人数も倍増,いつの間にやら顔触れは毎回随便的に変容するのが通例となった。もっとも国の流儀だけではない経緯がある。何よりもまず,六〇年の発掘は基壇本体に限られ,前面部分は局部探査により龍尾道の形状を推定したにすぎないため,本格的な調査の必要があった。九五―九六年,中国社会科学院考古研究所による再調査が行われ,東西両閣の基壇側壁にとり付いて上る龍尾道の遺構が検出された。平城宮第一次太極殿に共通する屈曲して上る形のものが創建以後のある時期に築かれたことが判明したのだ。

 この新発現遺構の知見にもとづく新たな復元案が九七年の雑誌論文に,F氏と並ぶ著名な建築史家で人文研にもなじみ深いY先生によって,発表された。Y氏の呈示した復元図は,すでにユネスコによる保存事業マスタープランを説明するイメージ図として公表されている。日本側委員が支持するこの屈曲形の龍尾道整備案は,しかしながら,中国の考古学界や国家・地方の関係部局の思惑などもあって,いまだ合意,最終的結論に達するに至らず,何回専門家会議を重ねてもほとんど徒労と思えるほどだ。

 第一期修復工事は,こうして何と龍尾道の先端の形状について決着を保留したまま着工された。たんに学術的見解の相違という類いではない。事情は著しく複雑だ。もはや紙数が尽き,これ以上書けないのを幸いとすべきだろう。小文を書き了えると間もなく,私は北京で最終局面の会議に臨む。これが印刷されるころは,果たして龍の尾は曲るのか,延びるのか。それとも,考えたくないことだが,会議の決着が依然として延びているのだろうか。


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