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人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

所のうち・そと


「世紀」と「センチュリー」

小林 博行

 新しい世紀を迎えた日。ふとしたことから,わが思いつきに心躍らせることがあった。

 たいそうなことではないから先に言ってしまおう。「世紀」の「せ」は「センチュリー」の「セ」ではあるまいかというのだ。

 人文研の助手に採用されてから私は,これもちょっとした出来事からだったが,鳥の鳴き声を意味のある言葉に写し取る,いわゆる「聞きなし」に興味をもつようになった。ウグイスの声を「法,法華経」といったり,ホトトギスのそれを「特許許可局」といったりするのがそれだ。古今東西の聞きなしを集めたり,聞きなしについて書かれた文章を読んだりするなかで,言葉のもつ音の側面の大きさについて,改めて感心したりしていた。

 「世紀」と「センチュリー」の思いつきも,そうしたことがあったからだろう。もちろん明治の翻訳者が,「センチュリー」を「せいき」と聞きなしたといいたいわけではない。明治十年代の「センチュリー」の翻訳事情については,折よく溝口雄三氏が,岩波書店『図書』二〇〇一年一月号に「『世紀』余話」と題して書いておられる。これによれば,「世紀」が使われるのはおそらく明治十四年(一八八一)以降のこと。そのころほかに,中村正直はたとえば「第十八回百年」といい,中江兆民は「十九紀」のように記し,また「世紀」を初めて使ったらしい松島剛でさえ,ときに「百紀」と書いているという。その後,明治十年代の末までに「世紀」は定着してゆくが,正直や兆民はしばらくは自分の訳語を使いつづけた。その理由を溝口氏は,訳語についての彼らの「自負」と,「漢学の素養」とに求めている。

 溝口氏も書いているように,中国には上古以来の帝王の事跡を記録した本に,晋の皇甫謐『帝王世紀』がある。辞書をあたってみると,「世」はもと三十年を意味し,後に世代・治世の意に転じたらしく,百年という意はどこからも出てこない。なぜ松島剛が「世紀」という語を使い,徳富蘇峰や福沢諭吉がそれに追随したか。これについてはいまだ明確でないようだ。もっとも「センチュリー」の「セ」をとったのではないかという私の思いつきも,いったいどこをどう確かめたらいいものやら。

 ところでこの思いつき,「ミレニアム」の訳語を考えていて出てきたのだった。「千年紀」と訳される場合もあるが,もうひとつ字を減らせないものか。明治の諸訳語を知ったいま,「千紀」もわるくないとは思う。しかし「センチュリー」が「世紀」なら,「ミレニアム」から「ミ」をとってはどうだろう。問題はどの字をあてるかだ。「未紀」「魅紀」「実紀」……。いっそ「レ」をとって,「令紀」「齢紀」「練紀」……。どうもよろしくないようだ。新春の妄説の検討とともに,これも千年後の識者に委ねることにしよう。


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