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人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

所のうち・そと


伊勢神宮の異国人認識

塚本 明

 一七七五(安永四)年の五月,琉球の船が志摩国鳥羽浦に漂着した。幕府の指示で薩摩藩の役人が受け取りに赴き,参宮街道を北上してまず大坂の藩邸に向かう。この時,伊勢神宮から神宮領住民に対して「(琉球人の)通行之節,御神領内之火たべさせ申間敷候」との指示が出された。調理する火を同じくしないこの「別火」は,被差別民に対する社会的な差別形態として知られる。琉球は当時清国の册封体制にも組み込まれた「内なる異国」であり,幕府からは薩摩藩の下に位置付けられた。右の触もその反映であったのか。

 伊勢神宮は訪れる参宮客を宮川という川を挾んで迎える。門前町の宇治・山田を含む宮川より内側は,秀吉でさえ検地の棹を入れなかった「守護不入の地」であり,俗権力の及ばぬ「清浄な空間」であった。そしてここでは宮川の外の人間とは同火しないのが原則だったのである。殊更に指示が出されたことの意味は重いが,琉球人が格別な「穢れ」として拒絶された訳ではなかった。

 さて幕末開港の情勢下,神宮神官らは「不潔汚穢之醜膚」が神地近辺を徘徊することを恐れ,神宮の領地を含む伊勢の三つの郡と志摩国へは異国人を立ち入らせないようにと朝廷・幕府に願い出た。肉食とキリスト教という異文化と武力侵攻の恐怖からのことであり,念頭におかれたのが欧米人であることは言うまでもない。しかしこの頃から中国や琉球の船に対しても同様に警戒心を強め,「異国人」一般を「不潔汚穢」という表現で収斂させていくようになる。それまでとは明らかに質を異にする「穢れ」意識である。

 実は過敏なまでの清浄さを求められた宮川の内側にも被差別民が居住し,神宮の中核域をも徘徊していた。彼らのなかには神宮に年貢を納入する者も居た。そして諸国の被差別民の参宮を,江戸時代の神宮の御師たちは拒絶しなかった。だが幕末になると次第に排除されるようになる。建前とは別に受けいれられていた僧侶も神宮域から逐われていく。外国人・被差別民・仏教が,いわばワンセットで排撃されるのである。明治八年にはイギリス公使パークスが参宮しており,外国人の排除は維新後もずっと続いたわけではないが。

 清浄さの「本家本元」とも言える伊勢神宮において,異国人観,「穢れ」観はどのように変容を遂げていったのか。伊勢神宮の明治国家に占める位置に鑑み,近代社会における他国認識,また穢れ観・差別構造を読み解くひとつの鍵が秘められているように思われる。

(三重大学助教授)

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