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人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

所のうち・そと


憧れ症候群

――文字――

中西 幸子

 文字に憧れるとはどういうことかともうしますと,私の場合,字を読む,字を書く(ここでは毛筆のこと),字を読んで解釈する,という三種類のことをいいます。

 私が中学生のころ,字を書くということは,とても新鮮なことでした。行書を習うものが必ず手本にするお決まりの蘭亭帖は,法帖の意味が分からないのに,あたかも王羲之に憧れたように毎日書きました。字は,次第に大きいものに憧れ,部屋中,紙を敷き詰めて書いているのを,父が「脚立がいるかね」と冷やかし,そのうちにとうとう「看板屋になるのかね」と言いました。高校時代には草書体に憧れたものの,ふと「やっぱり女の子は美しい仮名文字もすらすらと書きたい」と気がつきました。もうその時,時すでに遅し。私の腕は美しい仮名文字に馴染めないようになっていました。もう努力する事を忘れてしまって,何もかもほってしまいました。憧れの毛筆は成人するまでに終わってしまいました。

 ところが,図書館に英文タイプの試験で就職したものの,資料を扱うのにやっぱり文字は大切だったのです。それでまた気持ちが盛り上がり,断念した仮名に挑戦です。でもそれは書くことではなく,「源氏物語」を解読することでした。また,同時進行で仕事に必要ということで,先輩の呼びかけで「漢籍」の講読も始めました。かつて人文研におられた故鈴木隆一氏を先生にして,週一回の勉強会です。私はやっぱり出来が悪く,自分の発表の時,いい加減に「美妾」を「美しい妾めかけ」と訳すると,先生はいい加減を許さず,素早くしかしジワーと「中西さん,これは美しい召使いという意味ですわ」と言われて大笑いをしたものの,いつまでも「本当かな……」と,これまた勉強もしないで,日本語から見れば合点のいかないことでした。

 私の憧れ症候群はこれでおさまらず,資料との関連もありましたが,今度は古文書を読むことに相成りました。習った先生が「なかなか素質がある」と言ったとかでのぼせ上がり,発掘された文書(しかも,これは生の文書でありますゾ)に触れて,学生さん達と御一緒に解読のお手伝いをさせていただいたことは,とても感動的でした。

 研究者でない私は,いつまでも憧れ症候群に酔いしれて,これからも字に触れていきたいと思っています。

(研究所図書室勤務)

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