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人文科学研究所所報「人文」第四八号 2001年3月31日発行

所のうち・そと


戎肆庵読裘記序

浅原 達郎

 戎肆庵とは,一九九五年一月一七日未明まで神戸に存在したわが家のことである。いまはその実はなく,たわむれに与えたその名のみが,わたしにとっての兵庫県南部地震のすべてを語るものとして残った。

 震災で命を落とされたかたがたへの慰霊と,わたしたちを救ってくださったかたがたへの感謝との思いを表わすために,わたしのできることといえば,自分のつたない研究につとめるよりほかにない。ところが,しばらく学問を顧みるいとまのない日日が続いたあと,いざ研究を再開しようとしても,停止してしまった機関車をもう一度動かし始めるような重苦しさを感じるばかりで,そう簡単にはもとの状態に戻れないと思った。

 裘錫圭氏に初めてお目にかかったのは,震災直後の二月六日のことである。北白川の分館を訪問された裘氏とのまったく偶然の出会いであり,わたしは,神戸で貴重品を掘り出すために借りたのこぎりを,分館の収蔵庫へ返しにきたところであった。尊敬する中国古文字学の大英雄に会うことができたというのに,学問について語るゆとりなど当時のわたしにはなく,いただいた一冊の『裘錫圭自選集』だけが手もとに残った。ただそのときそれが研究の道を示すたったひとつの明りのようにわたしには思えて,裘氏の論文を一篇一篇ていねいに読んでいくところから勉強をやり直すことにした。さいわい,古文字学を志しておられた同僚の森賀一恵さんがおつきあいくださって,その後いつとはなしに「読裘会」と呼ぶようになる勉強会が,ひっそりと始まったのである。

 一九九五年にはついにわたしは何も書けなかったが,翌年以後,公表できなくてもよいから自分で納得のいくものを一年に一篇ずつという目標をたて,昨年までに五篇を書くことができた。機関車はきわめてゆっくりとであるがたしかに動いているようだ。五篇のうち三篇が直接に裘氏の論文を手がかりとした「戎肆庵読裘記之一・二・三」であるほか,他の二篇も裘氏の研究と少なからず関わるもので,すべて「読裘会」の成果といってよい。当初は公表するつもりなどなかったが,機会を得て雑誌に掲載されたもの,あるいはその許可をいただいたものもあり,最近の二篇はもともとその予定があって書かれた。ただ最初の一篇「戎肆庵読裘記之一」にのみ,いまに至るまでその機会の訪れる気配のないのが,わたしの慰霊と感謝の思いがどこかに通じてそこに捧げられたということなのであれば,まことにありがたいことである。


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