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人文科学研究所所報「人文」第四六号 1999年11月18日発行 | |
人文研の思い出 |
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人文研と私 |
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杉本 憲司 |
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人文研との出会いは,終戦後まもなくの頃で,日本考古学協会の大会が人文研二階の講堂で行われ,その日夕方から水野清一先生が中心になって,中国考古学に関心ある人々が一階会議室に集り研究発表があった時に,もぐりこみで話しを聞いた時と思う。その後,早くから存じ上げていた岡崎敬先生の研究所東北隅にあった研究室にかよい,本を見せていただきながら,新しい中国の情報,更に,当時,水野・長廣敏雄両先生が手がけていらっしゃった雲崗石窟の報告書の作成,イヤパの調査の準備から出発,帰国などを横目で見ながら,部屋にこられる多くの先生方の話しを聞かせていただいていた。このような状態が,私の大阪大学の学部・大学院時代,人文研の助手が岡崎先生から林巳奈夫先生と変っても続いていた。特に夏休みなどは毎日のように人文研にかよったことがあり,八月一六日の大文字の送り火の時には,水野先生の奥様からジャージャー麺のご馳走があったこと思いだす。 その頃,長廣先生が漢代の芸術と思想班の研究会を始じめるので,これに参加しないかと樋口隆康先生を通じておさそいをうけ,早速これに参加させてもらうことになった。この時には高校教師をしていたので,週一回の研究日をいただき,当時,中国考古学関係の本を私的に二人で読んでいた秋山進午さん(大手前女子大)と共に参加し,研究会の講読だけでなく,画像石拓本の整理,写真による画像石画題別分類整理なども行った。この研究会は夕方から始じまったので帰宅が夜おそくになったことを思いだす。その後,研究会が画像石から画論に研究の中心が変っていった頃から,別に林先生を中心に,文学部の樋口先生の研究室で,樋口先生,秋山さん,西川幸治さんと共に『三禮図』を読みはじめた。これが,後に人文研の林先生の研究班につながり,『漢代の文物』という名著を生むことになった。その後も林班の研究会に続けて参加し,林先生退官後は,永田英正さんが中心になった漢代石刻碑文会読の班に加わり,これが今日の梅原郁さんの法制史班,冨谷至さんの辺境出土木簡の研究班に続いているわけである。 |
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数えてみると五〇年近い,外者の人文研通いは,私にとって大きな知的興奮を覚えさし,これ位学問的刺激の多い場所はなかった。新設大学の学生で先輩がなく,桑田六郎・守屋美都雄両先生以外,学問的な雰囲気に接することが非常に少なかった中,個人的な人の連ながりで,人文研に連ながりを持つことができたわけであるが,昔の人文研は研究班の講読,研究発表以外に,各研究室での先生方とのお話しをする機会が多くあり,私にとって大変な耳学問をすることができた。前にあげた先生以外に,貝塚茂樹,日比野丈夫,福永光司,藤枝晃,森鹿三,吉田光邦などの先生方の博識な話しは,研究に関することだけでなく,学界,世界情勢,世間話しと広い分野に及び,学問・学界・俗世界のトップの話しであったこと思いだす。 (佛教大学教授) |
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日独文化会館のころ | 加藤 秀俊 |
藤岡班長、ありがとう | 樺山 紘一 |
思い出の塔 | 斎藤 清明 |
人文回想 | 高橋 利子 |
書庫のこと | 田中 久子 |
宿直の一夜 | 鶴見 俊輔 |
よく学びよく遊んだ助手時代 | 松尾 尊 |
東方文化研究所のころ | 村上 嘉實 |