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人文科学研究所所報「人文」第四六号 1999年11月18日発行

人文研の思い出


人文回想

高橋 利子    

 一九四六年三月図書係として勤務,当時,図書室は,文学部本館中庭の北側の一室にあり,西隣の教室に漢籍,同館二階の一室に和洋書,同東館にも満鉄,東亜研究所等から寄贈の二次文献を収納していた。

 この頃受入業務は,附属図書館が掌握していたので,登録の都度,供用命令書,支出負担行為書と共に,天秤棒の両端に本を入れた柳行李を掛けて,用務員さんに運んで貰う有様であった。整理業務は,小島祐馬所長を慕って東方文化研究所から移って来られた鈴木隆一氏,時勢に便乗することなく,儒教精神を貫き,停年迄勤められ退職後は,京都精華大の図書館長を勤められた立派な人であった。和洋書は,往年の学生運動の闘志長谷川章子さんが,定期刊行物の受入,整理,書物の排架その他の雑務の担当を田中さんが,この人の後人として,私がその仕事を受継いだ。

 聞くところによると,終戦迄は,哲学者の真下信一氏等が在籍,旧人文の図書分類表は,同氏により作成された。

 一九四九年桑原教授を班長に,共同研究『ルソー研究』を始められることになったが,必要な図書は当所に殆んど無く,文学部をはじめ他大学へも公用借用を依頼し,溝川助手は,着任早早リュックを背に借用に出向かれた。一方桑原教授は『速習フランス語講座』を開講され,図書係から長谷川さんと共に受講させていただいた。間もなく彼女は退職,岩波,平凡社と編集者としての道を歩まれた。

 その後,多田道太郎先生が,ルソーの『言語起原論』の講読をされることになり,テキストをタイプでステンシル・ペーパーに打ち,輪転機で印刷,受講者に配付するのも私の仕事で,この講読にも参加させていただき働きつつ学ぶ大変恵まれた職場であった。

 一九四八年大学に職員組合が結成され,河野先生は当時の名書記長,事務の田中,長谷川の両氏も支部結成に尽力,人文は常に最前線にたっていた。同年京大全学ストには,街頭に進出,ストに突入した経緯を市民にアピールした。この頃は主として経済闘争であった。軈て時の流れと共に,組合員も減少,職員の親睦をはかる為,白牛会が誕生した。

 合体の頃は,貧困時代であったが,本館と分館の親交の為,忘年会を本館講堂(現・センター閲覧室)で女子職員手作りのカレーライスをご馳走に,それでも結構楽しく,その中ダンスをする人,寸劇を披露する人,中でも吉田光邦氏の“すみれの花咲く頃”を自己陶酔の表情で唄われた上,タイツを穿いて踊られた姿は今尚鮮明に脳裡にしみついている。一九五五年頃から急速に復興する世相と共に,白牛会主催の忘年会も楽友会館やホテルを会場に盛大に行われるようになった。

(一九四六年三月〜一九八四年図書室職員)


日独文化会館のころ 加藤 秀俊    
藤岡班長、ありがとう 樺山 紘一    
思い出の塔 斎藤 清明    
人文研と私 杉本 憲司    
書庫のこと 田中 久子    
宿直の一夜 鶴見 俊輔    
よく学びよく遊んだ助手時代 松尾 尊よし    
東方文化研究所のころ 村上 嘉實