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人文科学研究所所報「人文」第四六号 1999年11月18日発行

人文研の思い出


書庫のこと

田中 久子    

 濃緑色二分冊のページを繰っても,一年有余の漢籍カードの書写作業がどの部分を占めているのかを理解するには,少々の時間がかかったものである。この漢籍分類目録の上梓後に私は初めて書庫に出入りすることになった。川勝義雄・竺沙雅章両先生と図書掛職員と私の四人は,カードボックスを携えて書庫に入り,照合した書架の本に排架番号を付した。この番号は,四部分類排列を知らない図書掛員にとって,後日閲覧室が公開されてからはとても重宝したものである。書庫内の題箋を揃えた紺色の帙の並びはとてもきれいに見えた。当時の鈴木隆一図書掛長に「これだけの時間いるのだったら,もっと早くに図書の事を教えておけばよかった」と言わしめた私と,所蔵漢籍との初対面であった。それからは何度書庫の扉を出入りしたことであろう。

 今は昔の,閲覧者も少なかった頃の事。ある時,那波利貞先生が見え或る書を要求され,「何階の何側の何列目の何段目あたりの何とか叢書の中」とおっしゃった場所からその本を取りだした。ずっと後に書架移動をして所員の先生から「見にいったらそこに本がない。相談もなく本を移動されたら困る」とお叱りをうけたこともあった。先生方の頭の中には目録は勿論,排架図が存在していたのだ。ある時,篠田統先生が幼いお孫さんをお連れになり,「ぢいの勉強した書庫を見せてやってください」と丁寧に許可を求められた。そういえば古くは,書庫とは女子供の入るべき所にあらず,と言ったとやらと聞いたことがあった。排架番号記入の折,三層での本の移動に梯子の最上段に立ち棚板の調整をしたが,どんなに怖かったことか! その時こそ先人の言葉を妙に納得させられた。ある時,吉川幸次郎先生が見え,「散歩の途中で思いついたので,こんな失礼な格好で申し訳ないが」と入庫のことわりを述べられた。見れば先生は着流しのままでおられた。近藤光男先生の書庫見学は雪のちらつく日で,連れの学生さんの薄いワンピース姿に,どうぞコートを着たままでと言うと,先生は即座に「いや,書庫にはきちんとした格好で入れて頂くものです」とおっしゃった。上記の先生方は偶然にも所員ではなかったが,当時所員の一例では,二人でカード検討中に突然「漢文やったら読んだげまひょか」と桑原武夫先生の声がしたこともあった。雑誌の背を見にこられた先生はそのついでによく小さな雑談をしてくださった。

 先生方は一々細かな事をおっしゃらなかった。しかしこうした会話や雑談が,先生方の書庫と本に対する態度を暗示し,ひいては私自身の図書室教育であったようだ。最近でもふと事にであった時に,文字のマニュアルではなく遠い日のあの先生の言葉だったと思い知らされる。あの頃,東方部の二階は書庫と司書室・講堂と呼ばれていた。先頃改装された建物の中で,この日時計だけはあの日のままだと,私は今年の夏季講座のポスターを見つめた。

(一九六二年四月〜一九九七年三月東洋学文献センター事務掛)


日独文化会館のころ 加藤 秀俊    
藤岡班長、ありがとう 樺山 紘一    
思い出の塔 斎藤 清明    
人文研と私 杉本 憲司    
人文回想 高橋 利子    
宿直の一夜 鶴見 俊輔    
よく学びよく遊んだ助手時代 松尾 尊よし    
東方文化研究所のころ 村上 嘉實