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人文科学研究所所報「人文」第四六号 1999年11月18日発行

人文研の思い出


宿直の一夜

鶴見 俊輔    

 一九四九年四月一日,私がつとめはじめた京都大学人文科学研究所分館は,図書館の前赤レンガに木造モルタルづくりを足したたてものだった。

 今はなくなってしまったが,私の中の愉快な思い出である。

 この木造モルタルづくりの部分に西洋部が入り,二階の行きどまりの二人部屋が紀篤太郎助教授と私の共用の研究室だった。となりが桑原武夫教授の部屋で,一階には十人あまり入れる議論のできる部屋があって,そこで,西洋部の主な仕事であるルソー研究があった。

 大図書館には総合索引カードがあって,京大に何の本があるかを見わたせた。本がばらばらにあることにおどろいた。行き先をたしかめて,ちがう建物にあるそれぞれの学科図書館に行くと,時間はかかるが,本をさがしあてることができた。たとえば,バーコフの『美の尺度』という本を,理学部数学科の図書室で見つけることができた。バーコフが一九二〇年代からの数学者であったことから,これを数学の論文と考えて発注されたものだろう。ついたのを見て,美学の本であることがわかり,誰も読む人なく,ここにおかれていた。

 ペリーの大著『価値の理論』は,農学部図書室にあった。農業経済学の参考になると考えられたのだろう。デューイというと哲学者という連想がはたらくのだろうけれども,価値論の論争相手だったラルフ・バートン・ペリーというと,哲学との連想から切りはなされて,ここにおかれていた。

 当時,人文科学研究所西洋部には本が少なく,私は,自分の仕事にかかわりのある本を見つけるために,京大の校庭を横切って,見知らぬ建物の中を案内をこいつつあちこちして本をさがした。そのうちに,京大をひとつの小さな大学と感じるようになった。途上ことばをまじえる人も多くなり,数学の山口昌哉,経済学の山口和哉,そして動物学では梅棹忠夫とつきあいが生じてから川喜田二郎,河合雅雄(当時は学生)たちの雑談の中に入るようになった。学科を横断する気風が,そのころの京大にはあった。それが,当時の私にはたのしかった。

 木造の建物から校庭の外のドイツ文化研究所に移動することになって,私にわりあてられた研究室には,莫大な数のナチスの著作があった。うまれてからこんなに多くのナチスの文献を見たことはなく,そのいくらかは手にとって読んだ。

 移転直前の日々,二つの建物を用務員さんがうけもつのはむずかしいので,教員が宿直することになり,会田雄次さんと私がくんで夜にあたった。

 会田さんはゆっくりはなしをするつもりで夜たべる菓子類をたくさんもってきて,深夜にいたるまで,自分の捕虜体験にうらづけされた西欧ヒューマニズム不信を語った。名著『アーロン収容所』のあらましを,発行の数年前に私はきいたことになる。

(一九四九年四月〜一九五三年一二月西洋部助教授)


日独文化会館のころ 加藤 秀俊    
藤岡班長、ありがとう 樺山 紘一    
思い出の塔 斎藤 清明    
人文研と私 杉本 憲司    
人文回想 高橋 利子    
書庫のこと 田中 久子    
よく学びよく遊んだ助手時代 松尾 尊よし    
東方文化研究所のころ 村上 嘉實